<やなせたかしさん死去>平和願い続けたアンパンマン
毎日新聞 10月15日(火)21時33分配信
正義の味方アンパンマンの生みの親、漫画家のやなせたかしさんが亡くなった。アンパンマンは、やなせさんそのものだった。おなかがすいている人には、自分の顔をちぎって分け与え、自分が傷つくこともいとわない「世界最弱」のヒーローだった。
アンパンマンが登場した1970年代は特撮ヒーロー全盛期。いっぷう変わったヒーローものは売れないと思われたが、その反響は結果的に予想を上回った。
やなせさんは、太平洋戦争で兵役に就いた。この戦争体験から平和への願いを込め、アンパンマンは誕生した。「聖戦と思っていたのが実は違った。正義の味方はすぐに逆転する。ひもじい人を助けるアンパンマンはどこへ行っても正義の味方です」と、何度も話した。自身も「何かをして人を喜ばせたいといつも思っています」と語っていた。読者の詩や絵を掲載する雑誌「詩とメルヘン」の編集長を務め、各種イベントに登場すると自ら歌って踊るなどサービス精神旺盛だった。
「愛と勇気だけがともだちさ」。東日本大震災の被災地では、アニメの主題歌「アンパンマンのマーチ」が歌われた。やなせさんがポスターを贈ると、子供たちが笑顔を取り戻したことも。それを聞き「まだまだ頑張らなくては」と意欲を持ち続けていた。「(岩手県陸前高田市の)奇跡の一本松」をテーマにした復興ソングも作詞作曲。昨年、今年と公開されたアンパンマンの映画でも、被災地復興をテーマにエールを送り続けた。
15日記者会見した、アンパンマンシリーズを刊行するフレーベル館の武藤英夫社長らによると、やなせさんは今年8月から入院。それでも、時々、東京都内の自宅兼スタジオに顔を出し、スタッフと話をした。12日は病室で午後10時ごろまでスタッフと話をしていたが、13日未明に容体が急変した。
一昨年にぼうこうがんにかかり、肝臓に転移していたという。20年前に妻を亡くし、子供はなかったが「アンパンマンが僕の子供だ」が口癖だった。
漫画家のちばてつやさんら関係者約60人が参列した15日の葬儀では、ひつぎにアンパンマンの人形やぬいぐるみが納められた。
今年は、作家活動60年の節目の年だった。関係者からは惜しむ声などが寄せられた。アニメでアンパンマンの声を演じる戸田恵子さんは「やなせ先生こそがアンパンマンそのものでした。大切な道しるべを失った感覚です」との談話を出した。同じ高知県出身の漫画家、西原理恵子さんは「やなせ先生がアンパンマンの裏側に秘めた思いを伝えていきたい。それが後輩としての今後の私の仕事」と語った。子供が「アンパンマン」をよく見ていたというタレント、エッセイストの小島慶子さんは「ばいきんまんを憎むべき敵ではなく、困ったやつという仲間の一人としてみている。そんな描き方に人間の生きるうえでのリアルさ、優しさを感じる。やなせさんのまなざしに触れると、子供は自分もいていいんだと安心できる」と魅力を語った。同志社大教授で、漫画研究家の竹内オサムさんは「幼い頃、父親を亡くすなどの苦労をしたやなせさんの作品には『かなしさ』が底流にある。だからこそ、生きることの意味を高らかにうたいあげ、勇気や正義を大切にした」と話した。【