アメリカで働く
「これが日本鍼灸だ」というものを確立させ
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16歳のとき交換留学でアメリカの高校へ
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父が西洋医学の開業医、母が薬剤師という家庭に育ったので、きっと将来自分も西洋医学の医師になるのだろうと漠然と思っていました。実家が外国人留学生のホストファミリーを請け負っていましたので、外国が身近に感じられる環境だったと思います。留学をすすめてくれたのも両親です。16歳の時に、YFUという交換留学プログラムに受かって、ペンシルベニア州の高校に留学しました。田舎の高校なので日本人なんて1人もいない。いきなり周りはすべて英語という環境で、本当に大変でした。しかし、幼い頃からサッカーとテニスをやっていたのが功を奏し、チームに入って活躍すると徐々に認められるようになったのです。そして半年後くらいには英語で口げんかできるくらいに英語も上達していました。
高校を卒業後、サンフランシスコの大学に入ってインターナショナルビジネスを専攻していた時に追突事故に遭い、自力で起き上がれないほどひどいむち打ち症になってしまいました。消炎鎮痛剤の投与や低周波療法、マッサージ治療、フィジカルセラピーなど、フルコースの西洋医療の治療を受けましたが、ほとんど効果がありません。そんな時、知り合いに紹介されたのが、中国人の鍼灸師です。先生は何も聞かず、いきなり金属の棒で耳を押し始め、「首と腰だね」と、ピタリと患部を言い当てられました。しかも1回治療を受けたら、翌朝すっと起きられるようになったんです。驚きました。
それから東洋医学の神秘に対する興味が出てきて、日系書店で東洋医学の本を買ってきて読みあさりました。東洋医学には、人は宇宙の一部であり、自然の摂理にのっとって病理を解明して治療を施す、「天人合一説」という基本概念があります。これこそ私のやりたい治療だ、と深く感銘を受け、東洋医学の道を目指すことにしました。そこで、前に診ていただいた先生に相談したら、「きちんと学ぶには母国語で深く理解することが大切だ」と。もっともだ、と思って日本に帰国。後藤学園で東洋医学を学び、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の免許を取りました。
中医学に興味を持ちカリフォルニアで開業
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卒業後、総合病院のリハビリテーション科の中の東洋医学部門に6年間勤務。その頃は毎日平均40人の患者さんを診ていました。多忙を極めましたが時間を見つけて、脳卒中の後遺症の治療法を学ぶための講座にも通いました。中医学(中国の医学)に出会ったのはその頃です。しかし当時は、中医学の日本語テキストなんてありませんから、中国語の本を買ってきて独学で学びました。中医学の用語は四字熟語が多く、漢字なのである程度まではわかりますが、同じ言葉でも違う漢字が使われていたりして苦労しました。
中医学では、鍼灸の体の外からの治療だけでなく、中から改善する漢方治療も組み合わせて行います。私はそれがやりたかったのですが、残念ながら日本の鍼灸師は漢方薬を処方することはできません。調べたところ、カリフォルニア州なら自分の目指す治療ができるとわかり、92年に再び渡米しました。
日本での単位と臨床経験が認められ、カリフォルニア州の鍼灸師試験の受験資格はすぐにもらえたのですが、アメリカで東洋医学の教育がどのように行われているのか知りたいと思って、サンタモニカのエンペラー東洋医学大学に通うことに。修士とライセンスを取得後、学校からの要請を受け、そのまま学校で5年間教えました。生徒はこちらが考えつかないようなことを聞いてきますから、答えるためにこちらも調べる。教えながら学んだことも多々あります。そして94年に自分のクリニックを開業しました。
日本の鍼灸師の活躍をサポートしたい
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