
X JAPANのhideに、市民団体から、 「ある難病の少女がhideのファンなので、1度会ってくれないか」 という依頼があり、hideはこれを快諾。 ライブ後に対面し、打ち上げにも 手を繋いで一緒に行ったそうです。 hideはその後も時間をつくっては 少女を励まし続けました。 ある日…、移植手術を受けた少女は危篤状態に陥ります。 お母さんは裕士さん(hideの弟でマネージャー)に電話をし、 「最後に(電話で)hideさんの声だけでも聞かせてあげれないか」とお願いします。 それを祐士さんから聞いたhideは 「この後の仕事は全てキャンセルにしろ。 病院まで車をぶっ飛ばせ!!」 と言い、病院に駆けつけ、 数時間も励まし続けたそうです。 その後少女は奇跡的に回復します。 このことがきっかけで、hideは 「何か力になれれば」と、 当時まったく知名度がなかった ドナー登録を行うことにします。 しかし、登録する場所に入ると、 そこには多くの記者がいました。 事務所がhideや祐士さんには内緒で 記者会見を準備していたのです。 その場では問題なく記者会見が行われましたが、 自宅に帰った際、入り口でhideは祐士さんを殴り飛ばし、 「これじゃあ、売名行為じゃねぇか!! もしそんな風にマスコミに書かれて その娘が傷ついたらどうすんだ!!」 と激怒したそうです。 98年にhideは急死。hideの葬儀の際、 落ち込む少女にYOSHIKIが近づき、 「次は僕らが君を支える番だ」といったそうです。 その後、YOSHIKIやhideと親交のあったJなどが 少女を支え続けたそうです。 ちなみに、この少女に向けて書かれた曲が 「Misery」という曲です。